細胞が光った感覚
2026.05.25
半引きこもり時期、友達との会話を楽しく聞きながらも、
どこか自分とは遠い世界の話のように感じていました。
わたしの意識は完全に、内側に向いていたのだと思います。
野菜が育つ様子を眺め、
そこに集まる虫たちの営みに感動し、
そよ風を感じて安心し、
真っ赤な夕日を眺めては、涙が出るほどの幸せを感じていました。
同時に、そんな自分に少し不安も感じていました。
今になって思うのですが、
この頃のわたしは、
「わたし」と「夕日」「野菜の芽」などとの境目が薄まっていたようにも思います。
「わぁ、綺麗な夕日」と眺める自分が、途中から消えていた。
そんな感じ、と言えるかもしれません。
そんなある日、思いつきで目を閉じて、
自分の身体のパーツひとつひとつを感じてみることにしました。
髪の毛、目、耳、鼻、おでこ、頬……
順番に意識しながら、感謝の気持ちを伝えていきました。
すると、自分でも驚くほど温かいものが込み上げてきて、
涙が止まらなくなったのです。
感謝、労い、愛おしさ。
うまく言葉にならないけど、様々な感情で胸がいっぱいになりました。
そして、数日後、そこからさらに不思議な体験をしました。
言葉にするととても変だけど、
細胞が月明かりのように淡く光っている感覚。
細胞全てが小さく振動しているような感覚。
身体が温かくなって、
全身がやわらかく発光しているような感じになったのです。
驚きとともに、 懐かしいような、安心するような、
とても優しい気持ちになりました。
しばらくして、気づいたことがあります。
主導権が自分に戻っていること。
なぜ自分より外側の声の方が信頼できると思っていたんだろうって不思議感。
もちろん、外側の声も聞けるけれど、
絶対的に信じられる答えは、自分の中にある。
その変化は、日常の小さな場面でも現れていました。
ちょうどその頃、ひょんなことから知り合った占い師さんがいました。
とても優しくて信頼できそうな方でした。
その方に「今年は大きな出費が多い」と言われました。
実際、破産してもおかしくない状況だったので、
「やっぱり!大変なことになっちゃうのかも・・。」
一瞬ビクッとしました。
今までのわたしなら、きっと信じて、とても不安になっていたと思います。
でも、身体はそう言っていませんでした。
「あぁ、この占いは、今回はわたしのものじゃない」
頭では少し不安が残っていたけれど、身体感覚では妙な確信がありました。
わたしの答えはわたしが知っている。
その心強さは、今でもはっきり覚えています。
今はあの頃の感覚から離れてしまい、外側の声に揺れることもあります。
頭の声は、いつだって不安を煽ってくるけど、
そのたびに、わたしは庭に出て、小鳥の声を聞き、そよ風を感じ、雲を眺め、
目を閉じて細胞に耳を澄ませます。
身体の内側で、何かが動き始めた
2026.05.23
2025年夏、わたしは父と同居を始めました。
そこで自分の闇を見ました。
小さい頃から大好きなはずだった父。
でもわかってた。これはわたしの演技だと。
本心では怒っていたと。
父に直接ぶつけてはいけない怒りを、紙に殴り書きしたことがありました。
あまりの筆圧に、ボールペンが折れました。
ボールペンも折れるんだ・・・
力が抜けて、泣けてきて、
同時に必死すぎる自分が滑稽になってきました。
ドロドロの昼ドラみたいじゃん・・笑
あの夏、わたしはヘドロを吐くような自分の闇を見ました。
止めようにも止まらない、今まで押し込めてきた負の感情が溢れてきました。
でもその闇を受け入れたあと、
「これが自分」と思っていたものが崩れ始めたように思います。
不思議なことにその頃から、内側で何かが動き始めました。
ある時ふいに、言葉にできないような
とてつもない光のような感情が湧き上がってくるような経験をしました。
大きな感動のような、喜びのような、切なさのような。
今まで感じたことのないほど大きな感情が、
突然、内側の奥の方からぐわ〜っと湧き上がってきたのです。
それは何度も起きたわけではなく、たった二度だけでしたが。
あまりの大きさに、
食器を洗っていたわたしは思わず手を止めて、それを確かめようとしました。
できることなら、その感情の中に入り込みたかった。
全身で感じてみたかった。
でも意識を向けた途端に、二度ともその感覚は消えてしまいました。
それでも、泣きたくなるほどの大きな何かが、
たしかに自分の内側から込み上げていました。
身体(細胞)ともっと繋がってみたい。
また、好奇心が膨れ上がったのでした。
傲慢なわたし
2026.05.22
さまざまな問題処理のため、わたしは日本に向かいました。
日本滞在中も、相変わらず頭の声と身体の声の差が大きく
わたしは不安と好奇心が行ったり来たりしていました。
そして同時に、なんだか泣きたくなるような美しい世界を見ていました。
すべてがつながっているような安心感の中にいました。
困っているわたしを助けてくれた人たち。
時には慰め、時には笑い飛ばしてくれた友達。
その人の優しさや頼もしさの奥には、
その人ひとりの人生だけではない、
もっと長い命の時間が流れているように感じられたのが印象的でした。
うまく言えないけど、目の前にいる人を見ると、
その人の後ろに、何百という人たちの存在が見えるような感じがしたのです。
背後霊とか、そういうのじゃないですよ。
ある日、ヨーロッパへの帰国日が迫る中、わたしは焦っていました。
決まるべきものが決まらない。決まりそうにもない。
仲介してくれている担当の方に
「早く決まればいいですよね」と不安な気持ちを言葉にしていました。
担当の方は「心配ですよね。私も頑張りますので」と言ってくれました。
その時、ハッとしました。
なんでわたしは自分ですべてを背負っているつもりでいたんだろう。
彼は自分の人生の時間をこの仕事に費やしてきたプロなのに。
なんで信じていなかったんだろう。
なんで無意識に自分でなんとかしなきゃって思っていたんだろう。
自分の力なんて、なにもないじゃない。傲慢だったな。
肩の力が抜けていくのを感じました。
他力に委ねよう
なんだか、清々しい気持ちでした。
わたしたちがここにいるのは、数えきれないご先祖さまたちのおかげ。
そして、わたしがこうして誰かに助けてもらえることも、
代々の命のつながりの中にある
今この瞬間に、全ての時間のわたしたちが一緒にいるような
何とも不思議な、時間を超えた空間にいるかのようでした。
コンビニの店員さんも、道端のガードマンのおじさんも、 すれ違うだけの誰かさんも、
みんな気の遠くなるような時間と命の繋がりの先に、今ここにいてくれる。
そう思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「みなさま、存在してくれて、ありがとう」
会う人にも、すれ違う人にも、
心の中で頭を下げたくなるような気持ちでいっぱいになりました。
「世界は優しい」
このとき、何度も心の中でそう呟きました。
頭がフリーズしたら、身体の声が聞こえた
2026.05.20
2026年が明けて間もなく、
父の入院と、破産さえ予測できる電話が、ほぼ同時にやってきた。
なんでこんなことに?
頭はパニック。
でも、どこかで小さな声で「いよいよだ」と勇む声も聞こえる気がする。
ずっと自分の内側と向き合ってきた時間が、ここに繋がってる。
そうだ、わたし知ってた。何かが起こること、知ってた!
父のお見舞いに向かうバスの中で、わたしは頭を悩ませていました。
今後の不安に押しつぶされそうでした。
ぼーっと窓から外を眺めていると、どこからか鼻歌が。
ふふん♪ふんふん🎵
景色きれい〜♡
すごく楽しそうに、ウキウキと景色を見ている「わたし」・・・
えっ?わたし??!!
いやいや、なんでそんな呑気に歌ってるの?
今大変なのよ!色々なことが大変なのよ!
あまりの場違いに驚いて、
何が大変なのかにフォーカスを当ててみました。
すると、心臓がドキドキし始めて、気分が重くなってきて頭は混乱し始める。
ほら、やっぱりそう!大変なのよ!
あぁ、わたしはどうしたらいいんだろう!!
でも、さっきのあの鼻歌と呑気さはなんだったんだろう。
もう一度、意識を身体に戻してみる。
雪景色きれい〜
でも光が少し強くなってて、春が近づいてるのを感じる〜♪
やっぱり、ここにすごく呑気な人いる・・。壊れたか?
このブログを始めた理由
2026.05.13
どうやら、頭よりも先に、
身体のほうが知っていることがあるらしい
そう思い始めてから、
人生の見え方が少しずつ変わってきました。
以前のわたしは、
身体はここにいるのに、肝心な自分がここにいない・・
時々、そんな感覚になることがありました。
いつもどこかそわそわしていて、
なんだか、効率良く急がなきゃいけない気がして。
でも本当は、
そんなに急ぐことなんて何もなかったのに。
そもそも、効率って何でそんなに大事なんだっけ・・?
あるきっかけで気づいたことは、
身体はいつでも、の〜んびり「今この瞬間」を感じてるってこと。
本当に、空気読めないレベルでマイペース。
なのに頭の声は、いつだって警戒体制で、
「急げ」「合理的に考えろ」って、どんどん先回りする。
まるで、絶対に子どもに回り道させたくない大人が
奔放な我が子を誘導してるみたい。
人生前半は、そのしっかり者の頭の声に従って、
純粋な身体の感覚を、ずっと置いてきぼりにしてきた気がします。
いま眺めていたい雨に背を向けて、未来のために準備するような。
そうしないと、取り残されてしまうような不安感があったから。
でもある日突然、
頭の声もフリーズしてしまうような、
「人生終わった・・」と思う出来事が起きました。
パニックになりながらも、
そのとき妙にはっきり見えたのが、
頭と身体がまったく別の動きをしているということ。
あまりの興味深さに、
ついパニックも忘れてしまうほどでした。
そして、同時に思いました。
この人生を、身体感覚と一緒に、もっと味わいながら生きてみたい!
もっと、この美しい世界を存分に感じきってみたい。
頭で考える前に、
「すでに知っていた細胞の本音」を生きてみたいなって、
そんなふうに思い始めたわけです。
(わたしの中では、身体=細胞、みたいな感覚です)
本当は、昔の日本の暮らしの中には、
こういう感覚が当たり前にあったんじゃないかなぁ。
今この瞬間瞬間を感じることに、人生があるってことを。
もしかしたら、今のわたしたちは、
頭が作ったバーチャルの中で生きてるのかもしれません。
そこから少し外に出てみると、
世界はもっとずっとキレイで優しくて、
すべてがつながっているように見えました。
でも、正直に言うと、このブログを何度も何度も書こうとしては、
途中まで書いては消し、書き終えては削除し、を繰り返していました。
書こうとするたびに、エゴが頑張りだして書けない。
焦点を合わせようとすると、書きたかった世界がどこかに消えてしまう。
その繰り返しで、気づいたら時間だけが過ぎていきました。
そしてある日、やっと気づきました。
あれは、スタートじゃなかったんだって。
むしろゴールに近いような場所で、
「あそこに留まりたい」「あの感覚を説明したい」ってエゴの大きな声が、
また身体の小さな声をかき消してしまっていたんだって。
でも、もう見てしまったし感じてしまった。
今さら元通りには戻れない。
とりあえず、もう一度身体に戻ろう。
だた「今」にいよう。
そんなことを繰り返しながら過ごすうち、 気づいたことがあります。
今にいることがすべてだってこと。
すべてが矛盾だったってこと。 でも実際は逆じゃない。
螺旋階段のように、間違ってはいない逆方向を歩いてきたのかもしれない。
遠のくことによって、この場所にしか「わたし」はいないと気づいたのだから。
今でもグラグラと揺れながら、
でも身体が、心が指し示すものを選んでいこうと思います。
この現実は、うたた寝の中で見ている夢なのかもしれない。
でもだからこそ、この瞬間を全身で感じて、楽しんで、
いっぱい感動していきたいと思い始めたところです。
目を覚ます日まで。