私は東京で生まれ、東京の下町で育ちました。
小さい頃、東京が大好きで東京で暮らしていることに大満足していました。
私の育った街には木造の家がまだたくさんあって(私の家も木造でした)、砂利道やコンクリートに覆われていない場所もたくさんあって、まだプライバシーがドーのコーのなんてあまりなくて、お隣さんが「こんにちはー!」っていう頃には既に勝手にドアを開けてて、「お醤油貸してもらえる?」とか「おかず作り過ぎちゃったから持ってきたのよー」とか言いながら玄関の式台?っていうの?上がり框?玄関ホール?に座り込んで、出てきた祖母とキャラキャラ笑って長話していたことを思い出します。
まさに、サザエさんの世界。
みんなもっと笑ってて、温かくて、のんびりしてて、おせっかいで、ダサくって(笑
今でも忘れられないのは、中学生の頃、少し混んだ電車の中で隣のおじさん(多分今考えると20代か30代のお兄さん)が、「これどう?今日デートなんだ♪」って少し嬉しそうにネクタイを見せてきたこと。
「良いと思います。」それしか言えなかったけど、あの幸せそうな顔が今でも残っていて、時々私の心をホッコリさせてくれます。
それくらい人々に余裕があった時代。
それから時が経ち、20代になった私は、既に東京に息苦しさを感じていました。
友達と喋れば楽しいし、デートも楽しい、素敵なお店を見つけて友達と飲みにいくのも楽しかった。
焼酎やワインにハマり、あちこち友達と飲んだり語り合ったり。
でも、なんでだろう、何をしても心からは楽しくない。
楽しいんだけど、満たされないものを感じていました。
打ち込めることを探して、習い事ジプシーのようなこともしていました。
「東京砂漠」、そんなCMあったけど(ジェネレーションギャップ覚悟で言ってみました)、そんな感じで、ありとあらゆる便利さがあるのに何もない枯渇した気持ちになっていました。
ただ毎日のように、仕事帰りにカフェで本を読んで空想に浸るのが一番の楽しみでした。
なんだか生きている感じがしなくて、20代後半、とうとう仕事を辞めて海外へ。
たいして英語もできず、いい年して貯金もそんなにはなく(浪費家でした)、好きだった仕事も捨てて、たった3ヶ月の日本脱出を試みました。(1年間行くお金がありませんでした。。)
そこにいたのは、何もできない私。。
空港から1人で滞在先に行けない、バスの降り方がわからない(表示板がなくて、アナウンスも聞き取れない)。
どこで乗り換えたら良いのかもわからず、結局終点まで行ってしまった私は、バスの運転手に行きたかった場所の地図を見せて、行き方を聞こうとしたら、
なんと、
少し考えてから「暗いし、こんな雪の中じゃ大変だよ」と、そのバス停までバスを走らせてくれたのです!!
まさにバスタクシー!
バスにはルートがあるはずで、いくら夜だからってそんな逆走みたいなことして良いの??!
と本当に驚きました。
ある時は、道路で後ろの車にクラクション鳴らされながらも、車を止めて「おーい!帽子!帽子被れよ!!死ぬぞ!」とトラックの中から大声で叫んでくる運ちゃん。
(冬は零下15度くらいの場所だったので、必ず帽子をかぶるのが常識だったみたい)
温かい。。ルールはめちゃくちゃ破っているけど、温かい。
私はそこでやっと潤いを取り戻していきました。
びっくりした話としては、買い物中に買うはずのパンとかグラム売りのブドウとかをつまみながらレジに行く人を時々見かけたこと。レジに着くまでにグラム数は減っていきます。
日本なら、きっと誰かが注意するのではないかと思いますが、誰もかれもお構いなし。
レジの人もお構いなし。
パンも食べかけでレジに出します(笑。
ジュースも飲みかけでレジへ。
時には空のペットボトルだけレジへ。
もちろん、これは我慢できず飲んじゃっただけで、支払いはしています。
のどかだなぁって、それも温かくて安心するような気持ちになりました。
小さなことを、小さなこととして扱っている人達への安心感。
おせっかいで、ダサくって、図々しくて、優しくて、温かくって・・・あれ?どこかで感じた気持ち。
私は、なんでもない日常が楽しくて仕方なくなりました。
お金もない、仕事もない、キャリアになるような留学でもない。
なーんにもないのに、毎日が安心感と楽しさでいっぱいでした。
今私が暮らしている国も同じ。
いや、来た当初はその数倍も不便でした。
今はかなり便利になりましたが。
人々は笑わない。英語通じない。
サービスって何?って感じの国でした。
スーパーで売られている玉ねぎとか、既に食べ物と思えないレベルで黒い。
これ廃棄物ですか?と聞きたくなるような野菜。
パンだって既に硬いし、自分で取って袋に入れるんだけど、散々触って硬さチェックしてから戻したりする人がいたし。レジの人は投げるかのようにものを雑に扱う(悪気はないっぽい)。
そして、誰もそれに注意を向けている人はいない。。
流石にパンについては、少し注意向けて!って思ったこともあるけど(笑)
でも、話しかけると実は親切で、初めて会った私と夫を、いきなり家に招待してくれたり。
道を聞けば、一緒にそこまで行ってくれたり。車に乗せて行ってくれたり。
近所のお婆ちゃんは、私は言葉がわからない、って言っているのに延々楽しそうに喋り続けるし。
何かすごくニコニコしながら、両手で私の手を包んで楽しそうに何か話しかけてたりするし。
子供が小さい頃は、ちょっと前を通りかかった家のおじさん(見ず知らずの人)が、とりたてのいっぱいの胡桃をくれたり。
買い物中、「これ美味しいのよ。私も孫も大好きなの」と言って勝手に買い物かごにクッキーを入れてくる通りすがりのお婆ちゃんがいたり。
ピアスとタトゥーで見た目怖そうなお兄ちゃんが、見ず知らずのお年寄りがバスに乗る時にサッと腕を組んであげてステップを上るのを手伝ってあげてたり。
赤ちゃんを裸足で散歩させていたら、「足は冷やしちゃダメよ!」といきなりアドバイスくれるおばさんがいたり。
おせっかいで、ダサくって、図々しくて、優しくて、温かくて・・・あれ?
今でも日本みたいに良いものなんて、そんなに売ってないんですよ。
百円ショップが神ショップに見える。
物によるけど、日本で百円で買えそうなものを、こっちでは五百円くらいで買ってるんです。
でもたいてい、品質は百円ショップに負けます。
最近は無くなってきたけど、「水道管壊れた」とかいって半日以上水が出ないことも結構あったし、泥水が出てきたこともあったし、いきなりガスが止まっても特に誰も驚かないレベル。
旅行の問い合わせをしていた時に、今まで普通に対応してくれていたスタッフが「あ!5時(終業)なので終わります。ではー!」と電話口から去ったこともあります(笑
もうマンガの世界です!
ありえない出来事に、もう笑うしかない!楽しむしかない!
でも、気付いたんです。
「ない」って幸せでもあるんだなって。
「ない」は「ある」に気づくヒント。
今は綺麗な野菜がたくさん売られているけど、当時の汚い野菜が当たり前の中、たまに綺麗な野菜を見つけた時の「やったぜ!」感。
困っている時に、偶然英語が話せる人に出会った「救世主現る」感。
レジでものを丁寧に扱ってくれるおばさんに当たった時の「今日はツイてるぜ」感。
「ない」があったから、当たり前とも思えることに感謝の気持ちが半端なく湧いてくるんですよね。
そして、「ない」世界は、なぜだろう。とても温かいんですよね。
「ない」んだけど、見えない何かが「ある」んです。
昭和の東京は、今みたいにスタイリッシュでも便利でもオシャレでもなかったけど、私は満たされていました。
海外に出た当初、不便で、ろくに喋れなくて、何もできない自分だったけど、だからこそ沢山の優しさと幸せを感じることができました。
「ない」と「ある」は同じもの。
そして、自分の経験を通して、息子たちには「正しさも大事だけど、それ以上に優しさを優先する人になってね。」「すべては表裏一体。どっちの面を見るかは、自分の心に従ってね」と伝えています。
そして、私の愛する昭和の下町には、確かにそれが存在していたなぁと思うのです。
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