ここ数日、なんだか変な気分でした。
無気力ともちょっと違うし、悲しいわけでもない。
でもなんとなく虚しくて、なんとなく自分が濁ってて、
何かとても大切なものから遮断されているような、そんな感覚になっていました。
わけもわからず泣けてくるような。
久しぶりに児童書『モモ』を読んだからでしょうか。
時間を効率で測るようになった人たちが、心で感じることを忘れていく物語。
作中にこんなセリフがあります。
人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じだ。
わたしには、その言葉が、「今この瞬間にいられる時だけ生きている」ともとれて、
今、わたしも含めて、どれだけの人たちが「時間」を生きているのだろうと、
心の奥で、何かがざわっと揺れました。
そういえば、心当たりがもうひとつ。
連休中、友人たちと連日バーベキューをして、楽しかったけど、
気づけばお腹が空いていないのに食べ続けていました。
それが癖になって、その後も数日はダラダラと食べて・・。
お腹が空いていないのに食べるとき、どこかで自分が「なんとなく」で
作られていく気がします。
必要でないエネルギーが、行き場を失って漂っているような。
そんなことを考えていたら、「氣枯れ」という言葉が浮かんできました。
氣枯れ
「穢れ(けがれ)」の語源とも言われる言葉で、生命力が枯れた状態。
エネルギーの質が下がったとも言えるかもしれません。
八百万の神々と共に生きていた昔の人たちは、こういう状態をちゃんと知っていて、
「禊(みそぎ)」で整えていたんじゃないかな。料理も掃除も、飛び散った「氣」を
自分のもとに呼び戻すための、日常の作法として。
無意識に食べ続けること、なんとなくお酒を飲み続けること、
それが血液を汚す行為なのはイメージつくことだけど、血液のみならず
エネルギーをも汚す行為なのかもしれない、と感じました。
氣が枯れていた朝、何も悲しいことはないのに泣けてきました。
それでもお腹だけはちゃんと空いてきて、メソメソしながらお味噌汁を一口飲んだ瞬間、
「あ、これだ…。」
心に、じんわりとクリアなものが満ちていくのを感じました。
野菜の甘み。時間をかけて作られた味噌の優しい味。海からの恵み。
身体がどこかで覚えている記憶。エネルギーがじわじわと蘇ってきて、
一瞬でこんなに変わるものかと驚きました。
なんとなく虚しいとか弱っている日は、
誰かが時間をかけて丁寧に作ってくれた本物の調味料で、ただ自分のために
料理してみると、エネルギーが戻ってくるかもしれません。
そこには、誰かの生命のエネルギーが宿っているから。
疲れているのに手の込んだ料理を作る必要はまったくなくて、
お豆腐に心の注がれた醤油をひとまわしかけるだけでも、きっと癒してくれる。
それは、自分の身体を丁寧に扱うこと。
味噌や醤油の中で生き続けてきた微生物たちの生命エネルギーも、あなたの内側から
やさしく応援してくれる。自分との繋がりを取り戻す入り口だと思います。
今日の一口が、あなたを内側から満たしてくれますように。🍵
