ここ数日、なんだか変な気分でした。
無気力ともちょっと違うし、悲しいわけでもない。
でもなんとなく虚しくて、なんとなく自分が濁ってて、
何かとても大切なものから遮断されているような、
そんな感覚になっていました。
わけもわからず泣けてくるような。
久しぶりに児童書『モモ』を読んだからかな。
時間を効率で測るようになった人たちが、
心で感じることを忘れていく物語。
作中に、こんな感じのセリフがあります。
人間には時間を感じるための心がある。
その心が時間を感じられない時、
その時間は存在しないも同じだ、と。
わたしには、その言葉が、
「今この瞬間にいられる時だけ生きている」ともとれて、
心の奥が、なんとなくざわつきました。
そういえば、心当たりがもうひとつ。
連休中、友人たちと連日バーベキューをして、
楽しかったけど、気づけばお腹が空いていないのに食べ続けていました。
それが癖になって、その後も数日はダラダラと食べて・・。
お腹が空いていないのに食べるとき、
どこかで自分が「なんとなく」で作られていく気がします。
必要でないエネルギーが、行き場を失って漂っているような。
そんなことを考えていたら、
「氣枯れ」という言葉が浮かんできました。
無意識に食べ続けること、なんとなくお酒を飲み続けること、
それが血液を汚す行為なのはイメージのつくことだけど、
血液のみならずエネルギーをも汚す行為なのかもしれないな。
気が枯れていた朝、何も悲しいことはないのに泣けてきました。
それでもお腹だけはちゃんと空いてきて、
メソメソしながらお味噌汁を一口飲んだ瞬間、
「あ、これだ…。」
心に、じんわりとクリアなものが満ちていくのを感じました。
野菜の甘み。時間をかけて作られた味噌の優しい味。
海からの恵み。身体がどこかで覚えている記憶。
エネルギーがじわじわと蘇ってきて、単純すぎる身体に感心。

