こんにちは。
「更年期から始まる私との一致」に来ていただいて、どうもありがとうございます。
前回の記事を書いてから、人生最大級レベルの倦怠感・無価値観・無力感に押しつぶされそうになりました。正直にいうと、押し潰されていました。
そこから様々な気付きがあり、今このブログもどんなものにしていきたいかが明確になってきています。そんなこともあり、今更だけど自己紹介をしなくちゃ!と思い立ち、簡単な生い立ちを書くことにしました。
私の記憶は、親の心配をしているところからスタートします。
いつも親の幸せを祈っていました。
なぜだかわからないけど、幼稚園の頃からいつか親がいなくなってしまうのが怖くて、親が傷つくのが怖くて、結構放任主義の家だったにも関わらず親の表情ばかり見ていました。
本当はやりたくない事でも親が喜ぶならやる(やりたそうにする)、本当は人見知りだったけど親が心配するから元気で積極的な子を演じる、そんな子供時代だったように思います。
小学校時代は比較的のびのびと生活していました。
相変わらず親の心配はしていましたが、自分らしく生活できていたと思います。
両親働いていたので、思い出は祖母とのものが一番多くあります。
すごく優しくて楽しい人で大好きでした。
祖母が買い物に行くなら私も行く、祖母が寝るなら私も寝る、祖母の後ばかり付いていくので、家族の中では冗談で「金魚のフン」と言われていました(笑
まだ家に洗濯板とか鰹節削りの器具とかもある昔っぽい生活で、近所では氷屋さんが氷を切っている姿を見ていたり、石焼き芋の屋台のおじさんにくっついて歩いたり、お米屋さんに精米させてもらったり、祖母からも町の人達からもいろいろなことを教えてもらいました。
そのためか、私の好みはすごくアナログです。私の小さい頃の昭和時代を愛しています。
小学校高学年頃から家庭内がおかしくなっていきました。
父の会社が傾き、お金がらみで両親が喧嘩していたり、母が泣いている姿をよく見ました。
親戚が怒鳴り込んできたり、家に差し押さえの人が来たり、当時は何が起こっているのかよく分からなかったけど、今考えるとコテコテの昼ドラのようでした。
学校生活は楽しかったものの、思い通りにいかないことの多い、あまり思い出したくない長い冬の時期です。
20代、結構やりたいことを行動に移し、夢を叶えていたアクティブな時期。
「自分らしくいたい」「無理に人に合わせるのはイヤ」と思いながらも、人の魅力的なところを見ては自分への欠如感に苦しんだり、人と比較して劣等感を感じたりしていました。
自分が何を欲しているのかわからず、手当たり次第に良いと思ったものを取り入れたり、やりたいことを試していた気もします。でも結局、もがいてはみたけど何が欲しいのか分かりませんでした。
ある時から、もうありのままでいいやって吹っ切れてきました。
だって、結局どうあがいたって自分にしかなれない。
いいなぁって思って他人の良いところを取り入れてみても、全然心が満たされなくて。
それらしく外見を繕ってみたって、本心では「バカみたい」って冷めた目で自分を見ていました。
言うなれば、全然似合わないのに素敵なあの子の洋服をそのまま真似して着ている感じ。
色もサイズも雰囲気も私に合ってない。ぜんっぜん素敵じゃない。
それを心から感じれた30代。心が軽くなりました。
それからまた時が経ち、子育て期間に入り、自分のことなんて忘れていきました。
日々変化していく子どもたちの成長が不思議で興味深くて、自分のことはあまり覚えていません。
子供のことで笑い、子供のことで悩み、子供のことで日々が過ぎていきました。
今やっと上の子が中学生になり下の子も小学高学年、遅くに生んだ子なので私の体力も限界ギリギリセーフで手がかからなくなり一安心。
そして気付けば50歳!!
もう本当に驚きます。
一時帰国を終えたくらいから、起き上がるのも億劫なほどの怠さと眠気に襲われ、無気力状態になりました。突然元気になる時があったかと思えば、ひどい無価値観でグダーっとしていたり、自律神経をやられてたのかもしれません。更年期症状の始まりとも言えます。
その症状はつい最近まで続きましたが、「もっと私を見て!」っていう自分からのメッセージだったのかもしれません。しばらくダラダラと、本当にダラダラと生活して、やっと自分の人生に戻ってきた感じがしています。
ダラダラ生活の中で気付いたのは、全然ケアしてもらっていない自分。
ずっと自分自身から関心を持たれず、無視されてきた本当の自分。
肌も疲れているし、運動しないから足腰弱っているし、髪の毛もなんだか疲れていそう。
ちょっと泣けてきました。あまりに自分に申し訳なくて。
そっか、「本当の自分」なんて意識したこともなかったな。
自分は自分の所有物で、自分の好みの姿に変えていって良いものだと思ってた。
自分好みの姿?・・あぁ、それも違うか。
世間の好みの姿に。
今なら分かるのですが、20代の頃探し続けていた「なりたい何か」なんて、本当は無かったんだと思います。世間一般に言う「○○師」とか「どこどこ企業のなんとか職」とかっていう肩書きも、一般的に素敵な女性と言われる条件も、そこに私のなりたいものは無かった。
この年齢になってやっと分かるのは、探していたのは「本当の自分」だったのかもしれません。
あまりに近過ぎて、全部知っていると思っていた自分自身のことが実は全然見えていなくて、遠くまで自分探しをしてきたのかもしれません。どんなに外側に満足できる何かを探したって見つからないはずです。
ごめんね ごめんね ごめんね!
自分に謝って、やっと本当の自分に向き合った気がしました。
自分から見える外側の世界でもなく、他人から見える自分でもなく、子供を通して見る自分でもなく、内側で大人しくしている自分。その自分と話したかったんだって、やっと気付くことができました。
ちょうどいい区切りの今、自分を労る新たな章が始まる予感がしたのでした。
これからは本当の自分と一致していきたいと心から思います。
長くなりましたが、そんなスタートのブログです。
私は何が好きで何が嫌い?
私はどうやって生きていきたい?
何を見ていたい?
何を食べたい?
何が嬉しい?何が悲しい?
今、色々と自分に質問しています。
その答えを一つずつ、自分の生活に織り込んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。
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