20代のわたしは、毎日を息苦しく生きていました。
「東京砂漠」という言葉ありましたよね。
まさにそれでした。
東京にはすべてがあって、そして何もない。
少なくとも、あの頃のわたしには、そう見えていました。
身体を壊したのをきっかけに、会社を辞め、
英語もろくに話せないまま、海外に飛び出しました。
そこで出会ったのは、規格外の日常でした。
レジに向かいながら、すでにパンをかじっている客。
零下15度の道路で帽子も被らず歩くわたしに、 クラクションを鳴らしながら
「おーい、帽子!死ぬぞ!」と叫びながら通り過ぎていくトラックの運ちゃん。
バス停を乗り過ごして終点まで行ってしまったわたしを、
わざわざUターンして送り届けてくれた運転手のお兄さん。
正しさより、おおらかさ。
完璧より、適当。
その空気が、どれだけ呼吸を楽にしてくれたか。
日本では内向きの力が強くて苦しかったわたしが、
外の世界でようやく呼吸できた気がして、
それから人生のほぼ半分を海外で暮らしてきました。
でも50歳で、突然の電池切れ。
内側へ内側へと入っていった時期のことは、体験記に書いた通りです。
人と会うことにも興味がなくなり、
夕日と日本酒と、庭での自然の営みを眺める時間があれば
それで満たされていました。
その静寂の中で、痛感したことがあります。
わたし、日本が大好きだったんだ。
気づけば、心震えるのは日本のものばかり。
外から見ていたからこそ、わかったのかもしれません。
神社、虫の声、温泉、職人魂、発酵、和食、八百万の神々。
心の底から、日本人で良かったと感じ、
そして、日本に帰りたいとの思いが大きくなっていきました。
日本に帰りたいな・・。
日本の動画を見ては涙する日もありました。
若い頃は、完璧を求められているようで苦しかった日本の空気が、
実はずっとすべてを受け入れてきた
深くて優しいものだったと気づいたのでした。
苦しかったのは日本じゃなくて、
内向きの自分を持て余していたわたし自身だったのかもしれません。
その一方で、あの破壊のような時期を経て身体とつながり始めてから、
おもしろい変化が起きました。
あんなに静寂を愛していたのに、
あんなに日本に帰りたかったのに、
再び外の世界と、そして何より人ともっと繋がりたくなってきたのです。
でも、もうあの頃のような、息苦しさからの脱出ではありません。
あれ以来、わたしの中に響いている言葉があります。
「統合」。
片方だけでは成立できない何か。
それが何なのかは、まだわかりませんが。
実現したらいいなって思うのは、
日本とイタリア、二つの場所で暮らすこと。
日本は内側に還る場所。
静寂、和食、温泉、神社、内観。
内なるものを、とことん満たしてくれる豊かな場所。
イタリアは外側に開く場所。
陽の光、食卓の賑わい、言葉、人。
内側にあるものを、のびのびと外に解き放つ場所。
わたしにとって、日本が月なら、イタリアは太陽。
知っている限りで、とても似た性質を持ちながら、どこか対照的な二つの国。
そこで両方を生きてみたい。
人と会うのが億劫になり、半引きこもりをしていた2年間で、
日常英語さえ自信をなくしていたわたしが、
気づいたらイタリア語のアプリで学び始めていました。
やりたい。
また違った自分と出会うかもしれない。
もしかしたら、これ、すごく面白いかもしれない。
もっと地球で遊びたい。
なんだか、まるで小さな子どもに戻った気分。
幸か不幸か、
あの破壊期のおかげで思考がフリーズし、身体と繋がった。
するとあの「静」の中に引きこもっていたわたしには想像もできなかった
「動」のエネルギーが動き出したみたいです。
内側深くに入っていった先に、外側への広がりの扉があった。
うまく言えないけど、そういうことだったのかもしれません。
さて、・・・とはいえ。
どうやって2拠点生活するんだろう。
お金はどこから出てくるの?笑
まあ、そのへんも含めて、
身体がなんとかしてくれる……かな?
気楽に夕日でも眺めながら待ってみよう。
