どうやら、頭よりも先に、
身体のほうが知っていることがあるらしい
そう思い始めてから、
人生の見え方が少しずつ変わってきました。
以前のわたしは、
身体はここにいるのに、肝心な自分がここにいない・・
時々、そんな感覚になることがありました。
いつもどこかそわそわしていて、
なんだか、効率良く急がなきゃいけない気がして。
でも本当は、
そんなに急ぐことなんて何もなかったのに。
そもそも、効率って何でそんなに大事なんだっけ・・?
あるきっかけで気づいたことは、
身体はいつでも、の〜んびり「今この瞬間」を感じてるってこと。
本当に、空気読めないレベルでマイペース。
なのに頭の声は、いつだって警戒体制で、
「急げ」「合理的に考えろ」って、どんどん先回りする。
まるで、絶対に子どもに回り道させたくない大人が
奔放な我が子を誘導してるみたい。
人生前半は、そのしっかり者の頭の声に従って、
純粋な身体の感覚を、ずっと置いてきぼりにしてきた気がします。
いま眺めていたい雨に背を向けて、未来のために準備するような。
そうしないと、取り残されてしまうような不安感があったから。
でもある日突然、
頭の声もフリーズしてしまうような、
「人生終わった・・」と思う出来事が起きました。
パニックになりながらも、
そのとき妙にはっきり見えたのが、
頭と身体がまったく別の動きをしているということ。
あまりの興味深さに、
ついパニックも忘れてしまうほどでした。
そして、同時に思いました。
この人生を、身体感覚と一緒に、もっと味わいながら生きてみたい!
もっと、この美しい世界を存分に感じきってみたい。
頭で考える前に、
「すでに知っていた細胞の本音」を生きてみたいなって、
そんなふうに思い始めたわけです。
(わたしの中では、身体=細胞、みたいな感覚です)
本当は、昔の日本の暮らしの中には、
こういう感覚が当たり前にあったんじゃないかなぁ。
今この瞬間瞬間を感じることに、人生があるってことを。
もしかしたら、今のわたしたちは、
頭が作ったバーチャルの中で生きてるのかもしれません。
そこから少し外に出てみると、
世界はもっとずっとキレイで優しくて、
すべてがつながっているように見えました。
でも、正直に言うと、このブログを何度も何度も書こうとしては、
途中まで書いては消し、書き終えては削除し、を繰り返していました。
書こうとするたびに、エゴが頑張りだして書けない。
焦点を合わせようとすると、書きたかった世界がどこかに消えてしまう。
その繰り返しで、気づいたら時間だけが過ぎていきました。
そしてある日、やっと気づきました。
あれは、スタートじゃなかったんだって。
むしろゴールに近いような場所で、
「あそこに留まりたい」「あの感覚を説明したい」ってエゴの大きな声が、
また身体の小さな声をかき消してしまっていたんだって。
でも、もう見てしまったし感じてしまった。
今さら元通りには戻れない。
とりあえず、もう一度身体に戻ろう。
だた「今」にいよう。
そんなことを繰り返しながら過ごすうち、 気づいたことがあります。
今にいることがすべてだってこと。
すべてが矛盾だったってこと。 でも実際は逆じゃない。
螺旋階段のように、間違ってはいない逆方向を歩いてきたのかもしれない。
遠のくことによって、この場所にしか「わたし」はいないと気づいたのだから。
今でもグラグラと揺れながら、
でも身体が、心が指し示すものを選んでいこうと思います。
この現実は、うたた寝の中で見ている夢なのかもしれない。
でもだからこそ、この瞬間を全身で感じて、楽しんで、
いっぱい感動していきたいと思い始めたところです。
目を覚ます日まで。
