2026年が明けて間もなく、
父の骨折入院と、破産さえ予測できる電話が、ほぼ同時にやってきました。
なんでこんなことに?
頭はパニック。
でも、どこかで小さな声で「いよいよだ」と勇む声も聞こえる気がしました。
ずっと自分の内側と向き合ってきた時間が、ここに繋がってる。
そうだ、わたし知ってた。
何かが起こること、知ってたや。
父のお見舞いに向かうバスの中で、わたしは頭を悩ませていました。
今後の不安に押しつぶされそうでした。
ぼーっと窓から外を眺めていると、
どこからか鼻歌が。
ふふん♪ふんふん🎵
景色きれい〜♡
すごく楽しそうに、ウキウキと景色を見ている
わたし・・・
えっ?わたし??!!
いやいや、なんでそんな呑気に歌ってるの?
今大変なのよ!色々なことが大変なのよ!
あまりの場違いに驚いて、
何が大変なのかにフォーカスを当ててみました。
すると、心臓がドキドキし始めて、気分が重くなってきて
頭は混乱し始める。
ほら、やっぱりそう!大変なんだ!
あぁ、わたしはどうしたらいいんだろう!!
でも、さっきのあの鼻歌と呑気さはなんだったんだろう。
もう一度、意識を身体に戻してみました。
雪景色きれい〜。
でも光が少し強くなってて、春が近づいてるのを感じる〜。
やっぱり、ここにすごく呑気な人いる。
そう、頭と身体で違う世界に存在していたのです。
今思うと、あの時はあまりのパニックに、
頭がフリーズしてしまったのではないかと思います。
そこで、普段はおとなしく頭に従っている身体の声が聞こえたのではないかと。
結果から言うと、いくつもの問題は嘘のように解決していきました。
父も無事だったし、破産どころか出費も限定的でした。
むしろ、さまざまな気づきをもたらしてくれる良い機会でした。
今振り返ると、頭よりも身体のほうがもっと先を知っていた、
そんなふうに思えてなりません。
そして、この時期のわたしの記憶にさらに残っているのは、
問題が解決していったことそのものより、
命の連なりのあたたかさを感じたことでした。
困っているわたしに、
関わる人たちがみんな優しくて、頼もしくて、
わたしは毎日のように感動していました。
でも、その人の優しさや頼もしさの奥には、
その人ひとりの人生だけではない、
もっと長い命の時間が流れているように感じられたのが印象的でした。
うまく言えないけど、目の前にいる人を見ると、
その人の後ろに、
何百という人たちの存在が見えるような感じがしたのです。
背後霊とか、そういうのじゃないですよ。
その人がここにいるのは、数えきれないご先祖さまたちのおかげ。
わたしがここにいるのも同じ。
そして、わたしがこうして誰かに助けてもらえることも、
代々の命のつながりの中にある。
そして、それはすべての人に言えることで、
コンビニの店員さんも、道端のガードマンのおじさんも、
すれ違うだけの誰かさんも、
みんな気の遠くなるような時間と命の繋がりの先に、今ここにいてくれる。
そう思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「存在してくれて、ありがとう」
わたしは、自分というひとつの存在として生きているつもりでいました。
でも本当は、もっと大きな命の流れの中にいて、
長い時間をかけて育ってきた結晶の、
ほんの一部を今ここで担当しているだけなのかもしれない。
そう思うと、
なんで「なんとかしなくちゃ!」と力んでいたんだろう、
と肩の力が抜けたのです。
会う人にも、すれ違う人にも、
心の中で頭を下げたくなるような気持ちでいっぱいになりました。
「世界は優しい」
このとき、何度も心の中でそう呟きました。

