傲慢なわたし

さまざまな問題処理のため、わたしは日本に向かいました。

日本滞在中も、相変わらず頭の声と身体の声の差が大きく
わたしは不安と好奇心が行ったり来たりしていました。

そして同時に、なんだか泣きたくなるような美しい世界を見ていました。
すべてがつながっているような安心感の中にいました。

困っているわたしを助けてくれた人たち。
時には慰め、時には笑い飛ばしてくれた友達。

その人の優しさや頼もしさの奥には、
その人ひとりの人生だけではない、
もっと長い命の時間が流れているように感じられたのが印象的でした。

うまく言えないけど、目の前にいる人を見ると、
その人の後ろに、何百という人たちの存在が見えるような感じがしたのです。
背後霊とか、そういうのじゃないですよ。

ある日、ヨーロッパへの帰国日が迫る中、わたしは焦っていました。
決まるべきものが決まらない。決まりそうにもない。
仲介してくれている担当の方に
「早く決まればいいですよね」と不安な気持ちを言葉にしていました。
担当の方は「心配ですよね。私も頑張りますので」と言ってくれました。

その時、ハッとしました。
なんでわたしは自分ですべてを背負っているつもりでいたんだろう。
彼は自分の人生の時間をこの仕事に費やしてきたプロなのに。

なんで信じていなかったんだろう。
なんで無意識に自分でなんとかしなきゃって思っていたんだろう。
わたしは、この人の生命からの力を信じていいんだ。
委ねて良かったんだ。

肩の力が抜けていくのを感じました。

自分の力なんて、なにもないじゃない。傲慢だったな。
なんだか、清々しい気持ちでした。

わたしたちがここにいるのは、数えきれないご先祖さまたちのおかげ。
そして、わたしがこうして誰かに助けてもらえることも、
代々の命のつながりの中にある

今この瞬間に、全ての時間のわたしたちが一緒にいるような
何とも不思議な、時間を超えた空間にいるかのようでした。


コンビニの店員さんも、道端のガードマンのおじさんも、 すれ違うだけの誰かさんも、
みんな気の遠くなるような時間と命の繋がりの先に、今ここにいてくれる。

そう思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「みなさま、存在してくれて、ありがとう」

会う人にも、すれ違う人にも、
心の中で頭を下げたくなるような気持ちでいっぱいになりました。

「世界は優しい」
このとき、何度も心の中でそう呟きました。

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