父の施設探しで気づいた、この身体で生きるということ

一人暮らしが難しくなった父の、施設探しが始まりました。

父の要望に合う場所をいくつか見ながら、
私はだんだん切なくなっていきました。

身体は健康だけど足が弱いので、もう一人で外出はできない。
好きなものを、好きなときに食べに行くことも難しい。
会いたい友達に、自由に会いに行けるわけでもない。

そんな現実を前にして、
気づけば、わたしは、また父との境目を見失いかけていました。

まるでわたしの責任の気がしてくる。
わたしが海外にいるのがいけないのかな。
もっとできることがあったのでは。

そこでハッとしました。
違う、これは父の人生だと。

わたしが背負うべきものではない。

思えば、これは幼い頃からの癖でした。
父と自分の境界が曖昧で、父の感情まで背負おうとしてしまう。
そして、気づかないうちに自分を追い詰めてしまう。

自分を後回しにすることが優しさではない。
相手の課題を引き受けることが優しさでもない。

そう学んだばかりのわたしに、
父はまた、絶妙なタイミングで練習問題を出してきたのでした。
(父は、結構わたしの人生のナビゲート役かも)

そして、この出来事から、ひとつの目標が生まれました。
それは「一生、自分の足で歩ける自分でいること」。

どれだけ満たされていたとしても、
健康な身体がなければ、その多くは叶わなくなる、
健康な身体があるからこそ、人生は自由でいられる、
ということでした。

今回の不思議な細胞の体験もあって、
身体はただの「入れ物」ではないと心から思います。

身体は私たちを導いてくれる命の繋がりの記憶であり、
私たちを導いてくれる存在。

そして同時に、
この地球でのあらゆる体験を可能にしてくれる、
かけがえのない相棒です。

「ハイヤーセルフ」という言葉があるけど、
もしかしたら、この身体こそがそれに当たるんじゃないかな。
少なくとも、かなり優秀な受信機くらいはやってそう。

そんなふうに思いました。

人間の人生なんて、いつ終わりが来るかわかりません。
だからこそ、終わりの時まで、この身体を大切に愛でて生きていたい。

長生きしたいとかそういうことよりも、
この人生を、後悔なく生き切るために。

更年期の身体って、もしかしたら
「そろそろちゃんと、わたしと向き合ってよ」
という身体からのメッセージなのかもしれません。

何を教えてくれているのかは、まだちゃんとはわからないけれど。
でも、この身体の声を聞きながら生きていくことが、
きっとこれからのわたしのテーマになっていくのだと思います。

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